がん保険とは?その評価と現実
銀行業界に限らず企業広報とジャーナリズムの関係は、ステレオタイプな表現を借りれば、騙し騙されの激しい情報戦を繰り広げる「敵対関係」ということになろうか。
しかし、それはあまりに貧困なイメージというもの。
単にそれだけでは、取材・執筆という名のゲームは絶対に成立しない。
我々ジャーナリストは決して秘密工作員やスパイの類ではないのだから。
ならばジャーナリストは、どのようにしてスクープを入手するのか。
私の場合は、取材相手と信頼関係を築くことだ。
こちらが欲する情報を持っている人物や企業と日々接する中で、少しずつ信頼関係を築いてゆく。
少なくとも私の場合、取材活動の第一歩はそこから始まる。
その意味では、ジャーナリストの仕事は傍で想像しているよりもはるかに地連なものなのである。
けれども、それは口で言うほど簡単ではない。
企業にとって都合のいい話を書けばいいというわけではないし、酒を一緒に飲めばいいというわけでもない。
本当の信頼関係は、お互いが相手に対して一目を置く、という関係にならなければ成り立たない。
お互いを尊敬し合える関係と言ってもいい。
かつて私と江上氏の間には、そうした信頼関係が確かに存在したと私は考えている。
当時の江上氏は、広報マンとしても際立っていた。
それまでの「受け身の広報」ではなく、危機管理を担う中枢組織と位置付け、様々なトラブルに的確に対応した。
そうした意味で、江上氏は「攻めの広報」を実践したパイオニアではなかったか。
その手腕がいかんなく発揮されたのが、九七年の総会屋事件に際してである。
江上氏は、第一勧銀という銀行の存在を守るには、正確な情報の開示しかないと腹をくくっていたように思う。
私はその胆力にも脱帽し、自分の得た情報や分析を正面からぶつけた。
あの時のギリギリのやりとりは、今でも鮮やかな記憶として残っている。
江上氏の活躍は高杉良氏の『呪縛金融腐蝕列島Ⅱ』のモデルともなったが、江上氏自身もその後、『非情銀行』で作家としてデビューし、実力派として注目を集めたのはご存知のとおりである。
二〇〇三年春、江上氏はついに銀行員生活にピリオドを打つことを決心し、覆面を脱ぎ去って、みずほ銀行の支店長であったことを明らかにした。
作家専業となった江上氏と私は、日本の銀行の行く末や金融行政のあり方などについて、忌憧なく語り合った。
OBとなってもなお銀行の現状を憂え、なんとか立ち直って欲しいと語る江上氏の姿を見ながら、私はなんとしてもこの江上氏の思いを世に届けたいと思った。
本書の企画はそんな経緯から生まれた。
いうまでもなく、銀行の現状は厳しい。
不良債権は解消されず、合併を繰り返してもその経営状態は一向に改善の気配はない。
りそなグループは国有化され、巨艦・みずほ銀行ですら苦境にあえぎ、近い将来の国有化すら取り沙汰されている。
みずほ合併の誤算と失敗については、私も二〇〇三年四月に上梓した『巨大銀行沈没みずほ失敗の真相』で詳しく書いた。
こうした銀行の迷走ぶりが日本経済の足を引っ張っていると言っても過言ではない。
日本の銀行はいま、その存在の意味を問われているのである。
銀行とはそもそもどのような存在であり、これからどうあるべきかを、根本に立ち返って考えなければならない。
そんな時代にさしかかっているように思う。
本書はそういう問題意識に立って行なわれた二人の対話をまとめたものである。
江上氏は一九七七年(昭和五二年)に第一勧銀に入行。
以来、梅田支店を皮切りに、支店営業の第一線に立ち、一九八五年からバブル経済の時期を本店の企画畑で過ごし、バブル経済崩壊に伴う銀行の「受難」の時期には人事や広報でその対処に携わった。
そして、みずほ誕生後の「未来の芽」を探る時期を支店長として過ごしている。
つまり、江上氏の二十六年にわたる「銀行員生活」は、日本の銀行がかつての平和な時代から、バブル期を経て不良債権にまみれ迷走していくまでの年月と、ぴったり重なっているのである。
ジャーナリストの私にとっても、これほど面白い素材はない。
だからまず、第四章までは「江上剛の銀行員生活」を丹念に浮かび上がらせることに専念した。
銀行がこの四半世紀の間にどのような変貌を遂げてきたか、一人の銀行員の姿を通じて、くっきりと見えてくると思う。
それを踏まえた上で、第五章では二人で銀行の未来について語り合った。
単なる空理空論ではない、地に足のついた見方で、銀行の目指すべき方向性を示せたのではないかと思っている。
江上剛という人物は、ある意味で銀行界では異端だったかもしれない(なにしろ作家になるくらいだから)。
しかし、彼の経験は決して特殊なものではない。
銀行員であれば誰しも経験した生活である。
その中で彼がどう動いたか、組織の側がそれをどう受け止め、受け止めなかったか。
彼自身の物語は、現役の銀行マンはもちろん、会社組織で働く多くのサラリーマンに、さまざまなヒントを与えてくれるはずである。
おそらく今、現場で働く銀行マンたちは、肩身の狭い思いで日々を過ごしているはずだ。
日本経済悪化の元凶とののしられ、給料が高いと後ろ指をさされ、やる気を失っている人も多いことだろう。
しかし、銀行員諸君!皆さんが立ち上がり、銀行を変えていかなければ、日本経済の明日もないのだ。
本書は江上氏と私からの叱咤激励だと受け止めて欲しい。
銀行に就職する当時は倒産が一件あると店中で大変な騒ぎでした。
そもそも、銀行は相当に吟味してから融資をしていた。
今、銀行が貸してくれないっていうけれど、銀行って、相当きちんとした相手じゃないと貸さないものだと思います。
成り行きで第一勧銀へ子供の頃の話から聞かせていただけますか。
兵庫県は丹波の山奥の、全部で六十軒ぐらいしかない小さな村で育ちました。
実家は小さな商売をやっていたんですが、祖父は政治に凝っていましてね。
借金しては、家の財産を村の人に買ってもらうような状態だったので、父は借金を返す苦労をずっとしていました。
村の郵便屋さんが借金の督促状を届けに来ていたのを今もよく覚えています。
だから子供ながらに、銀行とか農協といった金融機関に対して、小さい時から強い反発がありました。にもかかわらず、銀行に入った。
江上一九七二年に大学に入って、本来ならば七六年に卒業なんですが、オイルショックの頃でした。
この年に私は卒業できなくて、翌年の七七年に就職を迎えました。
「大学は出たけれど……」という戦前流行った言葉が、もう一度使われた時代で、特に留年なんかしてると、何の就職案内も来ない。
それで、今でいえばフリーターみたいなことでもしようかと、ブラブラしていたんです。
そしたら、大学の先輩で銀行に勤めている人から、「第一勧銀の面接に来ないか」と声を掛けられたんです。
「えっ」と思いましたよ。
だって「優」なんか、ほとんどなかったんですから。
面接はどうでしたか。
せっかく声をかけていただいたので、義理だけは果たそうと思って電話をかけました。
そしたら「今からでも来て下さい」と言われて、銀行のことは何も知らないのに出掛けて行ったんです。
その時、初めて銀行のパンフレットを見ました。
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このような場合は、同じ系統のがん保険で勝負をするのは避けて、ポイントを変えてがん保険で差別化を計るべきです。
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